1925年にアラスカ ノームで発生したジフテリアの大流行。
約1,000人もの人々が命の危機に襲われたこの事件を解決したのは、命がけで血清を輸送した20チームの犬ぞり。
「慈悲のレース」とも呼ばれるこの事件には英雄犬バルトと、その影に隠れた英雄犬トーゴの存在がありました。
犬ぞりの歴史

犬ぞりの利用・文化は1800年代後半頃から盛んになり、犬ぞりレースもこの頃に誕生したと言われています。
そんな犬ぞりですが、主に豪雪地帯の物資輸送や移動手段として重要な役割を果たしてきました。
しかし、1920年代頃になると、犬ぞりから飛行機や車がその役割を担うように。
現在も一部の豪雪地帯では日常的に利用されていますが、徐々に犬ぞり文化も衰退していき、犬ぞりの目的は輸送からレース等の”娯楽”目的へと姿を変えていきます。
アラスカ ノームで発生した感染症の拡大
しかし、ある事件を機に犬ぞりの重要性が再認識されるようになります。
その事件とは、1924年12月〜1925年2月にアラスカ北部の町「ノーム(Norm)」で発生したジフテリアの大流行です。

結果として犬ぞりの大活躍によって血清が届けられ、多くの人命が救われることとなりました。
「慈悲のレース」とも呼ばれる犬ぞりの活躍は、アラスカのみならずアメリカ全体を感動させ、後世にも語り継がれる物語となりました。
ジフテリア感染症とは

※ジフテリア菌には「毒素を作る菌」と「作らない菌」が存在します。本記事では毒素を”作る”ジフテリア菌として説明しています。
飛沫感染によって感染を広げるジフテリアは、多くの場合2〜5日ほどで40℃近い発熱のほか、喉の痛みや筋力低下、激しい嘔吐、神経麻痺といった症状を引き起こします。
また、場合によっては死に至ることもある恐ろしい感染症で、致死率10%前後と非常に高く、特に小児の死亡原因として深刻な病となっていました。
現在は血清療法による治療方法が確立され、ワクチン接種が最も有効的な予防手段となっています。
今もなお撲滅には至っていない感染症
旧ソ連時代のロシアでは、1990年〜1998年の約8年間でジフテリアが大流行(アウトブレイク)した事があり、12万人以上が感染、4,000人以上もの命が奪われたという記録もあります。
日本国内では、1991年〜1999年の間に21人が感染(内 2名の方が死亡)、以降は感染確認も認められてはいませんが、世界的には未だ撲滅には至っていない感染症です。
このように、感染力の強い感染症が約100年前のアラスカで発症してしまったわけですから、かなり深刻な事態だったと推測されます。
事件の発生と犬ぞり出動の理由

1925年当時のノームは約2,000人の住民が暮らすアラスカでも最大規模の町。
周辺地域も含めると1万人を数える人々が暮らしていました。
最初の患者となる3歳の子供は当初ジフテリアと診断されることなく、症状を発症してからわずか2週間で命を落とすことに。
その後、死亡原因を追求することでジフテリアに感染していたことが判明していきます。
飛沫感染によって感染を広めるジフテリアは感染力も強いことで知られており、医者は直ちに緊急信号を発信。
アラスカの主要都市部で、ジフテリアの検疫が開始されます。
ノームを襲った深刻な事態

この事件が発生する前の1918年〜1919年、ノーム市では「スペイン風邪」と「インフルエンザ」が大流行しており、人口の50%が亡くなるという非常事態が発生したばかりでした。
後の研究結果によると、亡くなった方のうち大多数は人口の約3分の1を占めるアラスカ系の先住民であり、スペイン風邪とインフルエンザに対しての免疫力が無かったことが判明しています。
ジフテリアの流行も同様に深刻な事態を招くと予想され、最悪の場合にはノーム市周辺地域も含めた約10,000人の命に危険が及ぶという懸念が強められたのです。
さらに重なる4つの悪条件
ジフテリアの大流行というアクシデントに見舞われたノーム市。
アラスカの冬はマイナス40℃を下回ることもある過酷な環境ですが、さらにいくつかの問題点が事態を深刻なものとさせていました。
【1】人口をカバーできない血清の数
ジフテリアは血清療法によって治療を施すことができますが、この時ノームには僅かな量の血清しかなく、仮に感染が拡がってしまった場合、ノームの人口をカバーすることは不可能な状況でした。
【2】最も近い都市から1000km以上離れた場所
ノームまでは鉄道が通っておらず、最もノームから近い駅は1,085km離れた「ニナナ(Nenana)」という町でした。
参考までに・・・
- (北海道)釧路→稚内→函館の移動で1,066km
- (東京)東京から福岡までの移動で1,091km
いかにノームが、孤立した状態に置かれていたかが想像できます。
【3】冬季間は海路が絶たれる立地
この時代の船は蒸気船で、さらに冬のアラスカは港や海も凍りついているため、海上からの輸送は不可能。
そのため、冬季間には犬ぞりを利用した陸路輸送が使われていましたが、通常であれば30日間をかけて移動していた距離でした。
さらに、適切な状態で運ばれない場合(温度管理など)の血清の”消費期限”は約6日と予測されていたため、6日以内に血清を運ぶ必要がありました。
【4】20年ぶりとなる過酷な冬
この年、ノームの気温は20年ぶりとなる「-46℃」を記録しており、一段と酷い天候に見舞われていました。
頼みの綱となっていた飛行機による輸送も、風速40km/hの強風&吹雪のために視界はなく、実際に輸送を試みたものの失敗に終わりました。
望みを託された犬ぞりでの輸送

空路もダメ、海路もダメとなると、残された最後の手段は犬ぞりでの輸送という決断にいたりましたが、多くの難題をクリアし、より早く血清をノームに届けるためには昼夜を問わず移動し続ける必要がありました。
こうして考え出された案が、複数の犬ぞりチームを各ポイントに配置して血清をリレー方式で運ぶという方法だったのです。
わずか5日半で成し遂げられた命のリレー
志願によって集まった犬ぞりチームは20チーム(100匹〜150匹)に及び、血清のバトンを繋ぐために各チームは事前に移動を開始。
こうして、「慈悲のレース」と呼ばれるノームまでの1,000kmに及ぶ犬ぞりリレーが、1月27日に開始されました。
ニナナからノームへの6日間の軌跡
(クリックで開閉)
1/27 ネナナ(Nenana) - “ワイルド”ビル・シャノン
ミント(Minto) - “ワイルド”ビル・シャノン
1/28 トロバナ(Tolovana) - “ワイルド”ビル・シャノン(Total 84km)
- ダン・グリーン
マンリーホットスプリングス(Manley Hot Springs) - ダン・グリーン (Total 50km)
- ジョニー・フォルガー
フィッシュレイク(Fish Lake) - ジョニー・フォルガー (Total 45km)
- サム・ジョセフ
タナナ(Tanana) - サム・ジョセフ (Total 42km)
- タイタス・ニコライ
1/29 カランズ(Kallands) - タイタス・ニコライ (Total 55km)
- デイブ・コーニング
ナインマイルキャビン(Nine Mile Cabin) - デイブ・コーニング (Total 39km)
- エドガー・カランド
コクラインズ(Kokrines) - エドガー・カランド (Total 48km)
- ハリー・ピトカ
ルビー(Ruby) - ハリー・ピトカ (Total 48km)
- ビル・マッカーティ
ウイスキークリーク(Whiskey Creek) - ビル・マッカーティ (Total 45km)
- エドガー・ノルナー
1/30 ガリーナ(Galena) - エドガー・ノルナー (Total 39km)
- ジョージ・ノルナー
ビショップ・マウンテン(Bishop Mountain) - ジョージ・ノルナー (Total 29km)
- チャーリー・エバンス
ヌーラト(Nulato) - チャーリー・エバンス (Total 48km)
- トミー”パティ”パトソン
カルタグ(Kaltag) - トミー”パティ”パトソン (Total 58km)
- ジャック”ジャックスクリュー”ニコライ
オールドウーマンシェルター(Old Woman Shelter) - ジャック”ジャックスクリュー”ニコライ (Total 64km)
- ビクター・アナギック
1/31 ウナラクリート(Unalakleet) - ビクター・アナギック (Total 55km)
- マイルス・ゴナグナン
シャクトゥーリク(Shaktoolik) - マイルス・ゴナグナン (Total 55km)
- ヘンリー・イヴァノフ
シャクトゥーリクの外側まで(just outside Shaktoolik) - ヘンリー・イヴァノフ (Total 0.8km)
- レオンハルト・セパラ
ウンガリック(Ungalik) - レオンハルト・セパラ
アイザックスポイント(Isaac’s Point) - レオンハルト・セパラ
2/1 ゴルビン(Golovin) - レオンハルト・セパラ (Total 420km)
- チャーリー・オルソン
ブラフ(Bluff) - チャーリー・オルソン (Total 40km)
- グンナー・カーセン
2/2 サフェティ(Safety) - グンナー・カーセン
ノーム(Nome) - グンナー・カーセン (Total 85km)
様々な苦難を乗り越え、無事ノームの町に血清が届けられたのは2月2日の午前5時30分ころ。
ニナナからスタートした命のリレーは、犬ぞりチームたちの活躍によってわずか5日半で成し遂げられたのです。
そしてノームまでの最後のエリアとなる85kmを走破したのがグンナー・カーセンがマッシャー(犬ぞりの操縦士)を務めるバルトのチームでした。
バルトのチームは血清を送り届けた英雄として讃えられ、リーダー犬のバルトは一躍英雄として全米にその名を轟かせる事になります。
英雄となったカーセンとバルト
事件から70年、アニメ映画「バルト」が公開
バルトの影に隠れた英雄「トーゴ」

マッシャーのグンナー・カーセン率いるバルトのチームは最終地点で血清を届けたため、20チームが参加した中でも特に注目されるチームとなりました。
が、実はこの史実にも異なる点がいくつかあるよう。
バルトは3歳のそり犬でしたが、”飼い主”であるレオンハルト・セパラによると、バルトはまだまだ未熟なそり犬。
また、バルトチームのリーダー犬だったのはバルトではなく、フォックスという名前の犬だったらしいです。
30kmにも及ぶ氷上も迷わずに進める能力

By Copyright: Copyright © Carrie McLain Museum / AlaskaStock – https://snl.no/Leonhard_Seppala, CC0,, Link
レオンハルト・セパラは当時から有名なマッシャーで、リーダー犬に選んでいたトーゴも犬ぞりで優秀な成績を収めている犬でした。
その差も歴然で、セパラとトーゴのチームは他チームを圧倒する420kmという距離を走破しています。
トーゴ達の走行距離を抜いて平均距離を計算してみると、約49kmという結果に。
じつに平均の約8.5倍もの距離を走っており、他チームに比べて実力の差が大きかった事がわかります。

ついに映画「トーゴー」で脚光を浴びることに
すべての犬が奇跡を起こしたのです
バルトの話は以前から知っていたので、トーゴの方が英雄だった的な事実を知った時は少し悲しい気持ちにもなりました。
しかし、バルトやトーゴと同じように活躍し、命を落としていった犬たちもたくさんいたことを改めて理解しておかなければなりません。
リーダー犬やマッシャーの資質も重要ながら、犬ぞりは皆で力を合わせて引き合うものなので、1匹でも欠ければその力も減少します。
すべての犬が奇跡を起こした!と締めくくりたいと思います。
Reference
- NORTHERN LIGHT MEDIA
- AKC : The True Story of Togo: Siberian Husky Sled Dog Hero of 1925 Nome Serum Run
- Wikipedia : Balto
- Wikipedia : 1925 serum run to Nome
- NIID 国立感染症研究所 : ジフテリアとは
- 感染症予防接種ナビ : ジフテリアとは
- Swedish Lapland : LEONHARD AND TOGO THE GREAT RACE OF MERCY
- THE PLAYLIST : ‘Togo’: Ericson Core On Willem Dafoe, Sled Dogs & Crafting A Tearjerker [Interview]